みなさんこんにちは!
2026年7月末、モロッコからスペインの飛び地セウタへ大勢の人が越境したニュースをきっかけに、地図を開いてみた方も多いのではないでしょうか。
私自身もそのひとりでした。
セウタの場所を調べてみると、思っていた景色とはまるで違う場所にあることに驚きます。
セウタは、アフリカ大陸の中にあるスペインの領土なのです。
セウタやメリリャがスペイン領になった背景には、大航海時代からの複雑な経緯と、モロッコ独立後もこの地域だけが返還されなかった歴史が関わっています。
この記事では、セウタとメリリャがなぜスペイン領土なのか、そしてこの飛び地の歴史について、私が地図を眺めながら感じた疑問とあわせて整理していきます。
読み終える頃には、ニュースの見え方がひとまわり広がっているはずです。
読む前にざっくり
- セウタとメリリャがスペイン領になった歴史的な経緯
- モロッコ独立後も残っている理由
- 飛び地が集まるこの海峡の地理的な重要性
セウタやメリリャはなぜスペイン領土?
セウタとメリリャは、大航海時代からレコンキスタ後にかけて、それぞれ別の経緯でスペインの支配下に入り、そのまま現在まで続いています。
では、二つの都市がどのようにスペイン領になったのか、順番に見ていきましょう。
大航海時代からスペイン領になった経緯
Googleマップでセウタを見つけたとき、私は思わず「え、スペインなのにアフリカにあるの?」と声が出てしまいました。
最初は地図の見間違いかと思ったのですが、調べてみると本当にアフリカ大陸にあるスペイン領だったのです。
セウタは、もともとフェニキア人が築いた古い港町で、その後ローマ、ヴァンダル、イスラム勢力と支配者が入れ替わりました。
1415年にはポルトガル軍が占領し、1580年のスペイン・ポルトガル連合を経て、1640年に連合が崩壊したあともセウタだけはスペイン側に残る道を選びます。
この状態は1668年のリスボン条約で正式に確定し、以後スペイン領として続いているというわけです。
ちなみにセウタという名前は、ラテン語で「七つの丘」を意味する言葉に由来するとされていて、地名ひとつからも歴史の積み重ねが感じられます。
モロッコ独立後も返還されず残っている理由
セウタを調べているうちに、「メリリャ」というもう一つのスペイン領があることも知りました。
「え、もう一つあるの?」という驚きとともに、次はメリリャの歴史も気になり始めます。
メリリャは、1492年にグラナダ王国が滅びレコンキスタが一段落したあと、1497年にカスティーリャ・アラゴン連合王国によって占領された港湾都市です。
その後、イスラム勢力側のサアド朝が16世紀中に多くの領地を取り戻したものの、セウタとメリリャだけはスペイン領として残されました。
1956年にモロッコが独立した際、モロッコ側は同じくスペイン領だったイフニは取り戻したものの、セウタとメリリャは対象になりませんでした。
モロッコは今もこの二つの都市の返還を求めていますが、スペインは「固有の領土」だと主張し、応じていません。
今回の移民報道の映像を見ていたら男性ばかりが不法入国していることに違和感を持ったのは私だけではないはずですよね。気になったのでその理由も調べてみました。

ポイント
- セウタは1668年のリスボン条約でスペイン領として確定した
- メリリャは1497年のレコンキスタ後にカスティーリャが占領した
- 1956年のモロッコ独立後もこの二都市だけは返還されていない
モロッコにある飛び地の歴史とは?
セウタとメリリャがこの一帯に集中しているのは、ジブラルタル海峡という、古くから世界中の国が重視してきた場所のすぐそばにあるからです。

では、なぜこの海峡沿いがそれほど重要な場所なのか、見ていきましょう。
なぜこの海峡沿いに飛び地が集まっているのか
地図を広げて眺めていたとき、今度はジブラルタル海峡が目に入りました。
船舶の航路を確認してみると、地中海と大西洋をつなぐ、世界中の船が通る海の玄関口だと分かります。
「ここって地政学的にものすごく重要な場所なんじゃないか」と、地図を見ながら考えていた記憶があります。
実際、この海峡は古代ギリシャ神話で「ヘラクレスの柱」と呼ばれるほど、昔から特別な場所として扱われてきました。
だからこそ、フェニキア、ローマ、イスラム勢力、ポルトガル、スペインと、時代ごとに多くの勢力がこの一帯を欲しがったのだと考えると、腑に落ちるものがあります。
すぐそばにあるイギリス領ジブラルタルとの違い
調べを進めるうちに、ジブラルタルがスペインではなくイギリス領だということも知りました。
「え、そこはイギリスなの?」と、正直かなり混乱したのを覚えています。
ジブラルタルは、1713年のユトレヒト条約によってイギリス領として認められました。
これは、スペインの王位継承をフランス側が引き継ぐ代わりに、ジブラルタルをイギリスへ譲るという交換条件の一部だったとされています。
一方でセウタやメリリャは、スペインが自国の一部として統治し続けてきた土地であり、他国から一時的な要塞使用権として譲り受けたジブラルタルとは成り立ちが異なります。
同じ海峡を挟んだ二つの飛び地でも、たどってきた歴史はまったく違うんですね。
ポイント
- ジブラルタル海峡は地中海と大西洋をつなぐ重要な航路
- ジブラルタルは1713年のユトレヒト条約でイギリス領となった
- セウタ・メリリャとジブラルタルでは、領有に至った経緯そのものが異なる
【まとめ】セウタ・メリリャがスペイン領である理由
ひとつのニュースをきっかけに地図を開いただけのつもりが、気づけば大航海時代からユトレヒト条約まで、歴史をたどることになりました。
今回分かったこと
- セウタとメリリャは、それぞれ別の時代にスペインの支配下に入った
- ジブラルタル海峡の戦略的な重要性が、この一帯に飛び地が集まる理由になっている
地理と歴史を知ったうえで改めてニュース映像を見返すと、あの越境が起きた場所の意味が、少し違って見えてきますね。

参考資料

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